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執筆者の写真【事務局長】岡田 光輝

漢字と「世相」

 今年の漢字が「戦」であったというのは、今回のテーマを言われてから初めて知った。「今年の世相を反映した」と冠するものは世に数多あるが、どうにもこのキャンペーンについてはしっくりきた試しがない。当たり前のことだが、何か大きな事象なり大事件があったとしても、それを受け取る「世間」なるものはもっと曖昧でよくわからぬ、ひょっとすれば存在すらしないと言ってもいい微妙なものなのであって、それを漢字一字で形容しようなぞというのは到底出来ぬことであるからだ。

 

 加えて、自分の記憶に関する問題もある。無論、他人と比べられるような代物でもあるまいから、「世間並み」がどういうものであるかは知らないが、自分には過去起きたことについて感情を交えて想起するということがどうにも困難であるように思えるのだ。つまるところ、自分にはエピソードというものがあまりない。

 

 普段から忘れっぽいのは仕方がないとして、起きた事象それ自体については、人並みに、あるいは人並み以上に正確に描写できるつもりでいる。単に事実を列挙していくだけであるならば殊問題は感じていない。他方で、その時どう思ったのか、何を考えていたのか、と問われるとまるで覚えていない。「今」から眺めて、「その時」をどう評するかというのと、その時その瞬間に何を思ったかは全然違った了見なのであって、「今」から眺めたそれはどこへか散逸した塵やら礫やら、何ら価値のないものにすら思えてくる。もはや果たしてそれは本当にあったのか、事実としてそうだったのかすら怪しい奇怪なものに私には思える。


 過去、あるいは歴史と言ってもいいが、そういうものへの処し方として、これが拙いことだとは思っていない。歴史が今の自らを構成するものであるのには疑いないが、それを捕まえるのは、紛れもなく「今」の私なのであって、それは常に再構成されたなにか別のものである。あるいは起きた事象を眺めたときに、今の自分は果たして同じように振る舞うだろうか、あるいは、とそう思うだけだ。思い出が常に美しいのは、我々の常識が知ることではないか、と。


 こういう自分には後悔も、ある種の達成感も持続することがない。そういうものがないわけではないだろうが、いずれにせよ、うたかたの如きものに過ぎぬ。一年は短いが、長くもある。何をか遂げるには短いが、その時々に去来する物事を捕まえておくにはあまりに長い。


 今年も何やら沢山のものが自分を通り過ぎていった気がするが、それに自分は黙って処しただけだ。もちろんその時々の感慨は数多だが、それをたった一字で表することができるとは思わない。


 代わりに一つ祈りでも込めておこうか、

 すべての人に「幸」あれと。




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