「方言」がテーマとなれば、この話題に触れぬわけにもいきますまい。
柳田國男の著作に『蝸牛考』という有名なものがある。
蝸牛は、カタツムリのことなのだが、地方によってその呼び名が異なるというのがこの研究の指摘するところである。
柳田によれば、近畿ではデデムシ、中部と中国ではマイマイ、関東,四国でカタツムリ、東北,九州でツブリ、東北の北部と九州の西ではナメクジとなる。
この研究結果を以て、方言周圏論という概念が知られるようになった。往時、我が国における「ことば」は、都があり新しい言葉が生まれる近畿地方を中心に、同心円状に伝播し、かつ分布していたことを発見したというわけである。
柳田自身、「発見というほどのことではない」と言っているのだが、この文化の伝播に関する概念は、現在でも文化人類学における一つの原理原則として理解されている。
加えてこれは、同心円の中心から離れれば離れるほど、古い時代の都の言葉が残っているという意味でもある。自身の話す言葉が、過去のいつの日かの影響を受けているのだとすれば実に興味深い。
標準語なるものが生まれてから、あるいは交通というものが活発になってから、方言はいづれ淘汰される命運にあるわけだが、少しく寂しさを覚えるのは、単純なるノスタルジイの所産でもあるまいと私は思う。
「方言」には明文化されない常民の歴史そのものがあるからだ。あらゆる言葉について考えることは、単語一つをとっても、なぜそれをそのように名付けたのかということ、あるいは時制表現にかかる時間感覚まで含めれば、我々一般に生きる人間が、いかにこの世界に処し、時代に、あるいは最も個人的な感情に至るまでを扱ってきたかについて知る事にほかならない。
自身関東に生まれたわけだが、父の実家のある静岡に行くのが楽しみだったのには、焼津弁の響きに何とは無しの心地よさを覚えたからだ。
たった二、三日の滞在が、自身の発声する言葉のテンポを変えてしまうことが面白かった。いずれそれは元に戻るのだが、その印象までは拭えない。言葉の意味はどこへか霧散していっても、その調子は、あるいはその言語を通して獲得せられたあらゆる情感は、いつまでも記憶され続けるのだろう。
そんな自分だが、今年で嶺北は6年目になった。聞く人が聞けば変な喋りなんだろうが、自分ではすっかり土佐弁イントネーションが染み付いたような気になっている。帰省の度、友人からは胡散らしく指摘されるのだが、もはや自身の「標準」が何であったかすらおぼつかないからどうしようもない。
他のことはよくわからないが、こと言葉に関して言えば、「私の中には嶺北という血が流れている。」ということなのかもしれない。
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