「台風」という言葉はそう古いものではないらしい。
考えてみれば当然だが、衛星写真もない時代において、それが全体どういうものであるかということも、今ほどはっきりとはわからなかっただろうと思う。
だが無論、毎年起こるこの気象現象それ自体は、寧ろ我々よりもはっきりとした体験として認識していたに違いあるまい。
日本書紀にはこうある。
「海中卒遇暴風、皇舟漂蕩(=海で暴風雨に遭い、御船は波間に漂った)」
どうも「暴風」は、「あからさまかぜ」と読むらしく、おそらくは往時台風を指す語であったと言われている。
江戸に時代が下ると、滝沢馬琴の『弓張月』にはこうある。
「それ大風激しきを颯(はやて)という。また、甚だしきを鵬(あかしま)と称ふ。」
一般に“あかしま”という語が使用されたかは不明だそうだが、これも「あからさまかぜ」から転じたもののようだ。
他には、「野分」という語もある。これは台風それ自体を指したものかは微妙だが、嵐の後、草がかき分けられている模様をこのように言った。
歴史的に見ていくとこんなこともわかるらしい。
平安から室町初期の台風に関する記述を見ていくと、鎌倉期から室町初期にかけての期間では、いわゆる台風シーズン以外の5月や11月ごろでもその記述が増える。現代と比しても当時の気象はもっと不安定であったのかもしれない。
さて、先にも書いたが、気象に関する知識とデータは近代化以降せいぜいここ200年あまりのものが主になるだろう。だが、人類史の蓄積はひょっとするとそれ以上のものを我々に教えてくれるかもしれない。
最近では、くずし字OCR(光学文字認識=デジタルデータ化)まで可能になってきたようだ。歴史学もまた、データサイエンスに推参する日が来たようである。
はて、我々は「歴史ビックデータ」から何を得るだろうか。自分は門外漢だが、割合楽しみでもある。
ただどうにもわたしは、「野分」の響きの美しいこと以上には、何をも得られそうにはない。
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参考文献
『台風の古い日本名』肥沼貫一
『京都を襲った歴史時代の台風-9~14世紀を中心にー』片平博文
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