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執筆者の写真【事務局長】岡田 光輝

卒業に寄せて


3年生との思い出とのことだが、、

どうもまだそれを思い出そうとするには、時間がいるらしい。



ベルクソン曰く、人間の想起という心の動きには、実際上の動機を要するらしいのであって、僕にはまだ彼らがいなくなってしまったような気もしていないし、彼らの存在を「想い出す」という心境にもなっていないから、これはどうにも困難なことに思えてくる。


代わりにといってはなんだけれども、卒業に寄せて、こんな話でも書いておくことにしたい。


平安の頃、当時文章博士であった大江匡衡という人が、雇った乳母について、妻の赤染衛門にこう歌を詠んだ。


 はかなくも 思ひけるかな ちもなくて 博士の家の 乳母せむとは

意味は、乳母のくせにまったく知、つまり学もなく、お乳も出ないとはどういうわけだ、といったところだろうか。

 

それに対して、赤染衛門はこう返している。

 

 さもあらばあれ 大和心し かしこくば ほそぢにつけて あらすばかりぞ

「大和心」が賢かったならば、学がないとか、お乳が出ないとか、そんなことはどうでもいいではないか、と。


ここで言う大和心というのは、人を思いやるような心であったり、感受性の豊かな、我々の心そのもののことを言っている。


当時学問、あるいは実用的な知識というものはみんな中国(唐)から入ってくるのが普通であった。だから唐才(からざえ/=学問的知識)に対して、ある種対をなすものとして、この大和心(やまとごころ)という言葉が使われたのであった。


幸か不幸か、我が国に押し寄せる変化というものは、いつも外から向かってくるようにできているらしい。当時は中国であり、江戸の頃には西洋が、そして今はアメリカ、あるいはグローバルという名の全く観念的な世界観そのものであろうか。無論我々はこれに背を向けることはできない。かつてそうだったのと同じようにである。


当節、知識というのは大変移ろいやすいものだろう。だからこそ、僕らはいつでも学ばねばならない。


でも果たして、それだけで十分だろうか。


-否である。


“やまとごころし かしこくば”ではあるまいか、と私は信ずる。






さて、3年生のみなさん、

卒業おめでとうございます。


これから先、僕らが生きていかねばならない世の中というものは、大変難しいものになるやもしれません。

しかしながら、ここであるいはこれまで学んだことを活かして、上手に、楽しく、社会という大海を、渡ってほしいなと思っています。


学び続けること、そして、知識を得ること、これらはこれから先もっともっと重要になってくるでしょう。ですが、世の中も人も、決して知識や情報だけで動いているわけではありませぬ。


(尤も君達はよく分かっているだろうけれども、)

人はむしろ心で動くものです。

だからこそ、ここで出会った仲間や、これから出会う人たちとの出会いを大切にして、

心を大切にして、生きていってほしいと僕は願っています。


物事に感動し、心豊かであることが、これからの時代において何よりも重要なことであると、僕は信じているのです。


Merci pour tous ces souvenirs.

Jusqu'à ce que nous nous rencontrions à nouveau.


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