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休日と午睡

何かに興ずるとか耽るとか、何らかのenthusiasmのとらわれになるとか、一時のこととしてそれが生じたとしても、長続きしたためしはない。


どうにも堪え性がないのか、あるいはこの身が生来惰眠を貪るためだけにつくられたのかは知れぬが、憶えばいつだって希うのは午睡のことであって他ではない。


そうしていたいのか、あるいはそうすることを強制されているのか、と考えたことがある。ひとつ解らしいものがあるとすれば、この考えるということによってそれを強制されたり、あるいは望んだりしているのではあるまいかということだ。


19世紀にサンボリスムという運動がフランスにあって興る。普通これは文学あるいは芸術の一形態として解釈されるわけだが、その底流にあったものが、単なる新思潮への渇望であったというように自分は理解しない。naturalismeへの反動であったということについてはまさにそうなのだろうが、これもまた十分な解釈を与え得るものではないように自分は思う。

naturalismeはこの世界において、一つの目的を達するの手段でしかないのであって、これ自体が目的となることはあり得ぬからだ。サンボリスムは斯様な目的を持たない。眼前に現れたイマージュそれ自体が、あるいは、その対象とするところとそれを寫すものとの間の観念的な運動それ自体が目的なのであって、いかなる意味においてもこれは手段なぞにはなり得ぬ。


自分にとってはこのことが大きな問題なのだ。あらゆる試みは、この「目的」のために暗礁に乗り上げる。目的が導くレアリスムはその単純なるがゆえに、あるいは複雑たるゆえに自分の興を失はせる。あるいは、その「目的」たるが、自らにとっても「目的」であると十分に承知していないがゆえに、どうあっても良いように思えてくる。対してイマージュとの交渉もまた、この目的的現代においては焦燥以外のものを自分にくれはしない。贅沢品に過ぎぬ手に余る代物というわけである。


我々の種としての繁栄は、この贅沢品によってもたらされたに違いないのだが、これを使役する目的を今日において思考することは極めて困難である。繰り返しになるが、これが如何なる意味においても、個のための目的足り得ることは殆ど根つから無いからである。


相場午睡の伴たる空想に耽溺するの他にこれを使役するの方を我々はもっていない。


だが願わくば、自分はレアリテ以上の何かに応接していたい。

無論、目的もなにもありはしないのだが。


 
 
 

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