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執筆者の写真【事務局長】岡田 光輝

仕事と人生観

小林秀雄の著作に『私の人生観』がある。

これは同名のタイトルで行われた講演を文章化したものなのだが、冒頭にこういう断りがある。


「人生観について話してくれと言われたが、自分のことについて語る代わりに、『人生観』という言葉について話をしようと思う」と。


そこから話は宮本武蔵やら、釈迦やらパスカルやらと飛躍していく。

あらゆる思想、というよりは「人」を行き来するその様は、いみじくも氏の人生観を語っているように思えてくるから面白い。


そういうわけで、今回のテーマは「仕事で大切にしていること」だそうだが、いつも通り搦手から、回り道をしながら行こうと思う。


古代ギリシャに、『労働と日々(あるいは仕事と日々)』という詩がある。

紀元前に成ったものなのだが、曰く労働こそ人間のすべてであり、働くものだけが、「得る」ことができる、というような内容であって、

如何にこの「働く」という概念が、我々にとって密接なものであったかがよくわかる。


労働ということでいえば、前にも書いたトルストイの『アンナ・カレーニナ』にも、ある種の労働賛歌がある。

華々しい貴族社会の堕落、あるいは同時代人の思想的混乱と丁度対照を描くように、農村の経営に邁進する人物が描かれるのだが、彼は「生活だけが必要だ。」と、一人ごちる。


古来から近代に至るまで、この労働に関するある種の賛美は、幾度となく繰り返されたことだろう。なにも高級な文学の裡にそれを見るまでもなく、労働の喜び、あるいは働かぬものへの諫言の数々は、洋の東西を問わず、枚挙にいとまがない。


では現代ではどうか。

小林は、別の著作で、「今日ほど仕事というものに人生を仮託することが難儀になった時代はない」というようなことを言っている。


全体、仕事というものに、自らの人生の意味と価値を見出すというのは、今昔の乖離の最も大きな点だろうと私は思う。


良くも悪くもだが、かつては、何を生活の糧とするかというのは、その生まれとほとんど一であった。

職工の家に生まれれば、モノを作ることが生業であって、百姓たれば、自ずから彼も百姓なのであった。武家の子は武家であって、蛙の子は蛙なのである。鳶が鷹を生むという笑談があるが、あくまで鳶が獅子を生むことはない。太閤秀吉という我が国におけるある種のサクセスストーリーは、いうまでもなくその稀有であったことが、伝説たる由縁なのである。


他方で、我々現代人は、鳶に生まれながらにして、獅子を目指すことができるような時代を生きている。無論、それ自体大変素晴らしいことには違いないのだが、はてそれが幸福に直結するか、と言われれば、これは同じように大変難しい問題には違いない。


我々の一生というものは、自由を愉しむにはあまりに短いのである。自由であるというのは、選択の連続であるということに等しい。自由を愉しむの法は、その選択の結果を、あたかも玉でも手に取るように、じっくりと賞翫することにあると私は思う。一体どうしてそうなったのかと、端から答えのない問を自らに提出し、そこにめいめいが手前勝手の意味と価値を見出していく。そういう道を歩き切ることが、この人生の意味と価値をつくっていく。そういうものではあるまいか。


斯くて我々は自らの手にした自由がゆえに不自由なのであった。何をか選び得ることの価値は、その選びたるところを能々反省するところに生ずるのである。であるならば、かつての我々は、鳶の鳶たるを反省するのであって、鳶の獅子たろうとして依然鳶たるところを反省する愚を引き受けることは自然無いのである。


ここに現代の労働をめぐる困難もまたある。自ら選びたるところの依拠するものは極めて曖昧なものとなった。職工の子が選ぶのは、職工になるか否かではない。自らの仕事というものが、一体どうすればもっとましなものになるか、その一点だけが絶えず彼を悩ませる。それは自ずから彼を彼の手に成ったものへの、あるいは彼の存在そのものへの反省を指嗾する。

我々はどうか。我々の選択の依拠するものは、かつてと比べてあまりに貧しい。一体どういう因果があって、今こうしているのか、本当にそれを物語ることのできる者が果たしてどれだけあろうか。あたかも下流の礫のように散らばった選択の結果の数々にせいぜい眩暈でも起こしているのが関の山ではないか。


柳田國男の『遠野物語』にこういう一説があるから引いておく。


白鹿は神なりという言い伝えあれば、もし傷つけて殺すこと能わずば、必ず祟りあるべしと思案せしが、名誉の猟人なれば世間の嘲りをいとい、思い切りてこれを撃つに、手応えはあれども鹿少しも動かず。この時もいたく胸騒ぎして、平生魔除けとして危急の時のために用意したる黄金の丸(たま)を取り出し、これに蓬を巻きつけて打ち放したれど、鹿はなお動かず。あまり怪しければ近よりて見るに、よく鹿の形に似たる白き石なりき。数十年の間山中に暮せる者が、石と鹿とを見誤るべくもあらず、全く魔障の仕業なりけりと、この時ばかりは猟を止めばやと思いたりきという。
柳田國男『遠野物語』

この者にとっての狩りは無論生活の糧であって、労働である。

その実際生活上の合理的な行動が、彼を魔性との応接という形而上学的事象へと導く。


遠野物語には、斯様な話がいくらもある。

これが刊行された1910年、我が国はすでに近代化を済ませ、激動の昭和を迎えんとする時であった。

だがいずれの話もまた、往時遠野郷に住む者にとっての眼前の事実であったと柳田言う。


そうか、昔の人はそんな迷信を信じていたのか、というのは全く浅薄な合点であろうし、無論柳田の試みもまた斯様なところにはない。


狩人は自らの信仰を行為をもって確かめているのであって、無条件にこれを信じたのではない。

また「狩りを止め“ばや”」とあるのも面白い。

強い衝撃と畏怖とを感じたであろう彼だが、その生活の糧たる狩りを止めるわけにはいかぬが故だ。


繰り返すが、彼の実際生活は、全く理性的なのである。他方で、その理性は彼の信仰と決して抵触することはない。


畢竟言いたいのは、この狩人と白鹿との邂逅が意味するところこそが、我々にとって労働が喜びたりうる瞬間なのではないかということである。


この世界に、我々の種が生まれたその時から、我々はその存在に人生の意味と価値を求めた。

古今東西のあらゆる文化が、あるいは芸術が、そして労働が、このことを我々に語っている。

我々は糊口をしのぐのみでは満足しなかった。何かを知り、何かを信ずることを通じて、それを好み樂しんだのである。


この樂しみは単なる道楽とは違う。その者を虜にしてしまうような、そういう類のものではないか。

白鹿との邂逅は、狩人を終生掴んで離しはしなかっただろう。

そして、そのこと自体が、彼自身の中で自己の存在に対する問を生み、そこにあらゆる意味と価値とが生じたに違いないのである。

無論それは、名誉の狩人たる「彼」にのみ与えられた、この人生の意味と価値である。


どんな仕事だって一向かまいやしない。そこに自ずから現れるだろう自己の存在そのものを眺めることだけが必要だ。

いずれ意味も価値も、自己の外側になぞ求めてはならぬのだろう。元来そういう風に我々はできていないのである。


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