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アトリエから


7月末から8月の中旬まで、大学のスクーリングに参加するために東京にいました。


初日の講義は丸太を2日間にかけてデッサンするというもの。

アトリエには丸太が二つ用意され、一つは縦向きに、もう一つは横向きに置かれていました。


私は構図など全く考えず、最初にアトリエに入って座った場所で書き始めることにしました。横向きに置かれた丸太の真正面。切り口が見えず、立体感の出しにくい一番難しいと言われる構図です。


初日の課題に対して、特に何の感情もありませんでした。

用意された場所で、描けと言われたものを描く。モチーフに対しての不満も、描きたいと思う構図を探す気持ちもありませんでした。


静物を観察し、見たままに描くことへの自信も少しはあったように思います。


しかし、描き始めてから1時間、2時間と経つにつれて、徐々に焦りの気持ちが大きくなっていきます。


思ったよりもずっと複雑な丸太の木肌。絵に立体感と質感、重さが出ない。周りの人たちの進み具合も嫌でも目に入ります。


「難しい、描けない」


今まで大人数で同じモチーフを囲み、決められた時間内で描いた経験はありません。

鉛筆でのデッサンが久しぶりなのもありましたが、初日は昼休みも取らず、時には他の人の描き方を参考にしながら8時間半描き続けました。


目の前にある丸太一つ思うように描くことができない。正直すごく落ち込みました。

これは絵を学んだことがない人が描いた絵だと自分でもわかったからです。


たかだか大学の課題作品の制作です。自分で描きたいと思ったモチーフでもありません。

単位を取るためだけなら「このくらいでいいや」という気持ちで、手を抜くことだってできたかもしれません。


でもそれでは、この絵を見るたびに後悔しか残らなかったでしょう。


絵を描く技術が劣っていることはそれほど問題ではないのです。

これから絵本を描いてみたいと言っている者が、自分の生み出す作品に責任を持てなくてどうするのか。このくらいでいいやと手を抜いて、そんな姿勢でものを作る人の作品を誰が手に取りたいと思うでしょうか。


作品ごとに出来不出来はあります。しかし取り組む姿勢にそれがあってはいけないと、それだけは自分で決めています。


ものを生み出すということは、苦しく孤独な作業です。

集中力を酷使して、不機嫌な自分と向き合い続ける作業が続きます。


周りとは違う世界に生きている自分に酔い、そんな自分がこのくらいのものしか作り出すことができないのかと自暴自棄になる。何かと両立することが限りなく難しい、とても不健全な世界だと感じます。


初回の講義を担当してくれた先生は最後の講評でこう言っていました。


「今回描いてもらった皆さんの絵には、過去と現在、未来が含まれています。今日の絵は捨てずに大切にとっておいてください」


描けないと落ち込みながら13時間かけて一生懸命向き合った丸太の絵。


このときの先生の言葉が自分の中にすっと落ちていったのを覚えています。


綺麗な線だけが評価される世界ではなく、ときにその線を自ら壊し、それがかえって意図せずに美しさを生むこともある。曲がった線が個性になり、大きな余白がモチーフをより際立たせる。描く人の思想や人生観、これまでの経験も作品には影響を及ぼすでしょう。


良い悪い、上手い下手では単純に言い表せない。言語化できないような複雑な感情が渦を巻く世界。


ものを言わぬ作品の解釈も人それぞれ。


真夏の東京のアトリエで、底の見えない世界への入り口を少しだけ覗いた気がしました。

 
 
 

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