テルです。しばらく書けそうなテーマがなかったので沈黙しておりましたが、忘れられそうなので、そろそろ書いておきます。
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正直にいえば、今回も自分には少々不得意なテーマである。
別段思い出がないのは、自分が不肖な学生であったことと大いに関係があるわけだが、それは棚に上げておく。
思い返すと、小中高ともに自分はマンモス校と言われる学校に居た。記憶が正しければ、小学校は40人が5クラス、全校で1200人にもなった。
そういう類の学校しか知らなかった私は、こちらに来てみて、教室にやたらと余白の多いことから他学年同士の仲の良さまで、自分のよく知る学校とは全然勝手が違うことに随分驚かされた。
先生と学生の関わりにしてもそうだ。私には「こういうことを教わった」とか、「こんな時間を共にした」とかいうような思い出はあまりない。寮や塾の生徒達は、時折先生とのエピソードを聞かせてくれるのだが、そんなときにはいささか羨ましく思ったりもする。
そんな自分にとっては「先生」と呼ぶことが、今でもやや気恥ずかしい。そう呼ぶことにも呼ばれることにも慣れぬから、塾では生徒たちに渾名で呼んでもらうことにしている。
かえってそれに慣れぬ生徒たちからは、時折「先生」と呼ばれるわけだが、私はそのたびに「先生ではない」と、面倒な返答をする。そのうち「先生!っ…じゃなかった。」となっていくのが面白い。
自分には気前のいい親戚の某さんくらいの立ち位置が性に合っている。
「先生じゃない」といえば、私のいた大学には妙なしきたりがあって、教授のことを「先生」と呼ばず「〜君」で言うようになっている。(実際に「君」なぞと呼ぶ腹の据わった学生はないのだが。)
なんでも創立者ただ一人が「先生」なのであって、後は等しくみなその門下生ということであるらしい。
理由はそれだけではない。かつて私塾というものは「半学半教」が普通なのであった。学問上の上達者は下級の者に教え、またかつその上の者に教えを乞うという具合であって、師やら生徒やらという意味合いはその時々の学ぶ事柄で変わっていった。「学ぶ」も「教える」も本来密接不可分なのである。
そんな大学時代の恩師がこんなことを言っていた。ゲストスピーカーが来たときのことである。
「話の中身も勿論だが、その人の立ち居振る舞いから感じてほしい。」
そんな意味合いの言葉だったろうと自分は記憶している。
「学ぶ」でもなく「教わる」でもなく、ただ「考える」ことだ。
それは無闇に頭を動かすことではない。その対象なり学問なりとただひたに向き合うことだ。そうしているうちに自ずから感得していくものがある。息づかいやら、手さばきやら、移ろいやすく、曖昧で、確からしくない、そういうものだけが必要だ。
やたらとやかましい時代であるからこそ私は凝乎、眼前の実際物と向き合っていたいと思う。
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