「桜」で真っ先に思い浮かぶ歌を言えば、本居宣長のものだろうか。
やまとごころを 人とはば 朝日に匂う 山桜花
日本人の心を桜に例えたものだと言われたこの歌は、維新以降、我が国における国民国家としての意識の醸成にも頻繁に用いられ、また戦中には、「いさぎよく散る」桜のイメージと武士道の連想から、ある種プロパガンダ的にも使われた。
しかしながら、これが宣長の意に沿うたものであったかといえば、随分怪しいものであるらしい。
宣長の言う「やまとごころ」は、そのような雄々しいものではない。古事記と並び、万葉の研究にその生涯を賭した宣長にとって、万葉の歌人らの裡に現れた「やまとごころ」という思想は、これを”ますらおぶり”と評した先達、賀茂真淵のそれとは余程違っていて、むしろその反対に、手弱女ぶりなものとして映じていたようである。
手弱女ぶりは普通、「女性的である」とか「優美で繊細な」というような意味に解釈される。
宣長のこの歌は、朝の陽光指す山桜の、まさに匂わんばかりに映えるその様を、我々の心に例えたにすぎぬのであって、後世の喧伝は、いかにも的外れに思えてくるのである。
桜といえば、今日ではソメイヨシノを言うのだろうが、私はこれをあまり好まない。
尤も美しくもあるが、あまりに単調であるように見えるからである。
そも万葉や古今に歌われた「桜」は、山桜を言うのであって、ソメイヨシノは近代以降の、ある種の発明品である。これをして自然を賞翫するというのは少しく異なるように私は思うのである。ああいう色彩から生まれるものは、せいぜい「花より般若湯」くらいの思想なのであって、そこになんら高級なところはなかろうといえば言葉が過ぎるか。
山桜は、開花とともに鮮やかな赤の新芽を出す。落花近づくにつれ新緑を帯びはじめる葉の様は、まさに「匂はむ」ばかりなのであって、確かにはかなくも美しい。だが、これを潔しの美と捉えるには違和感がある。ソメイヨシノの寿命はせいぜい我々と同じくもって80年ほどだそうだが、山桜は2,300年が普通のようだ。毎年山桜を眺めては写真に収めているらしい私だが、彼は私よりもずっと長命なのであって、私の生涯にわたって相も変わらず美しくあるのだろう。
鎌倉期の出家僧であって歌人の西行はこう歌った。
春風に 花を散らすと みる夢は 覚めても胸の さわくなりけり
「花」は無論、桜のことである。夢の中、桜花の舞う様を見、なお目が覚めても胸中のざわつきは消えぬ。意味はそんなところであろうか。
これは、桜を女性に例えた恋愛歌だとみる向きもあるが、そのような解釈を待たずとも、いやむしろ、そういう如何なる意味も拒絶したところにこの歌の美しさはある。
西行ほど桜を愛した歌人はないだろう。生涯詠んだ2000余りの歌のうち、実に200首以上が、桜を詠んだものだといわれる。
彼は桜の美しいことは無論、生きることの意味を深く自得した人であったのだろう。
願わくは 花のものにて 春死なむ その如月の望月のころ
良く生きるとは、感動と感慨の裡に死ぬことである。生き死にを扱いながら、ここに決して悲壮なものは読み取れまい。我々は、生きるとは死へと歩を進めることだという常識を、意図の有無にかかわらず忘れている。
死はあちらから向かってくるのではない、我々がその歩を一直線に進めているに過ぎないのである。ならば、「願わくば」である。往生際の良し悪しなぞ無論関係はあるまい。「やまとごころを人とはば」である。そういうものを、そういうものだけを私は大事にして生きていたいと思う。
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