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執筆者の写真【事務局長】岡田 光輝

散歩・散策(鉄斎について)

「しばらく書いていないのは書けるお題がないからだ」と、我儘を言ったらこのお題になった。


そういうわけであるから書かねばなるまいと思うのだが、どうもそのいとまもなさそうなので、学生時分の旅行記でも載せておくことにする。



『鉄斎について』

 鉄斎美術館は宝塚清荒神というところにある。宝塚の駅を出て暫く、住宅地の合間を縫うように行くと参道がある。時代を遡ったような風貌を備えたその参道は、進むにつれて自ずから自然に抱かれる。はて1キロは歩かないと思うのだが、茶店と仏具店、そういえば嫌に易者も多かった、トタン長屋を暫し行けば、あゝなるほどの桃源郷。案内が見えぬから、はてこの眼前の蓬莱山をして鉄斎美術館と曰っているのかしらとちよつと心許無い気がしたのも仕方があるまい。普段はそれほど好きでないあの抹香の香りが、小春日和の陽光に混じて嫌でも夢へと誘うのである。


「これはいけない。すっかり精神が伸びきってしまった。今日は鉄斎と勝負しに来たのだ。いや、鉄斎と勝負なぞ痴がましいな。優れた文人の魂を僕はどれだけ聴くことが出来るだろうか。」


 本当は武者震いの一つでもしていくつもりだったのだ。僕はすっかり嫌な気になった。

 

 さて絵の感想は書くまい。正直に言えば鉄斎の絵のことなぞ僕にはちっとも分からない。途中で東京から来たという爺にいろいろ聞かれてすっかり狼狽したのは、僕がそういう類の鑑賞しかしていない證據である。


 どうやら今回の企画展示は長寿をテーマにしたものらしい。八十九まで生き、周到に九十を祝う絵まで描いていた人だから確かに鉄斎と長寿とは切っても切れないものがあろう。足るを知る儒者鉄斎は、自分の生への執着はなかっただろうが、度々請われては寿老人を書いたし、好んで大椿なんかも書いたわけだから、長寿ということの意味を鉄斎ほどよく分かった人間もそういなかったであろう。


 小林秀雄は、鉄斎が年老いてから描いた絵は、線が色に飲まれて消えると評した。なるほど、確かにこれは色である。水墨画であろうがなんだろうが、それらはみな色と化している。だが、この色という言葉の意味が、それ以上のものであると分かったのは、ある鉄斎八十八の時の作を見てからのことである。


 「この世のすべての事物は、それを静観するならば、それが自分自身の中にもあるということを自得するであろう。」

 讃にはこういうような意味のことが書いてあったろうと思う。こういう具合で、讃の鉄斎はいかにも儒者鉄斎であるのだが、この絵の、あの平時通りの見事な筆で書かれた讃は、絵に、そう、全き色に飲まれていた。


 この展示は鉄斎八十九の蓬莱山で終わるのだが、はてこれは学芸員を褒めたらいいのだろうか。その蓬莱山は、見事な紅白の、あれは梅だろうか、全体に金泥を頂いたその山は、まさに鉄斎という人間を描いたものであったに違いなかった。自画像がなにも自分の顔を書かなくてはならぬという法はあるまい。あれは確かに鉄斎であったのだ。


 鉄斎を生きるのはいかにも難しかろう。だが、その困難はみな我々の方に問題があるのであって、鉄斎が難解なわけではない。鉄斎は描いた、ただ描いたのである。描くということそれ自体が、鉄斎にとっては浸透の中に、持続の中に身を置くということであった。だから讃の鉄斎は喧しくても、絵の鉄斎は常に軽快だ。我々を考えこませるところなぞちっともありはしない。首を捻ってみたところでなにもわかるまい。漁師たちと、あるいは馬士と、一緒に杯を酌み交わすがよいのである。或いは瓢箪でもよかろう、瓢箪の中には宇宙がある。老荘の賢人たちを信じねば、また人間鉄斎もわかるまい。


 帰途同じ道を行った筈だが、あの抹香の匂いはちっともしなかった。


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