そら、科學だ。どいつもこいつも又飛び附ついた。
肉體の爲にも魂の爲にも、―― 醫學もあれば哲學もある、―― たかが萬病の妙藥と恰好を附けた俗謡さ。 それに王子樣等の慰みかそれとも御法度の戲れか、やれ地理學、やれ天文學、機械學、化學・・・・・・
『地獄の季節』アルチュール・ランボー著 小林秀雄訳
「人間中心が過ぎるのではないか?」
これはある課題に対する学生の問題意識である。
もっと自然と共生する手立てを考えねばならない、件の学生の言いたいのは、そういう事であるらしい。
だが、問題は「人間」というものをどこにおくのかということの方にあると、私は思う。
もっと言えば、我々は自らの脚地を失ったのだと。
近代以降、我々はこの世界を計量可能なものとそうでないものとに分けた。
人間も、自然も計量可能な、方程式の函数であると。
無論、科学の発展とその恩恵を享受する我々にとって、それを否定する事はできないだろう。
他方で、自然も人間も計量可能な存在であると同時に、計量不可能でもあることを忘れてはならぬ。
「きみの悲しみを計算することはできないだろう。」
小林秀雄はそう言う。
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