お題に答えるならば、ぜひともこれまで足を運んだことのない場所には行ってみたい。
都道府県単位で考えると、北海道、福井、佐賀の三県が未踏であって、機会があろうとあるまいと次の旅程の候補にしたいと思っている。
さて前にも書いたが、もっぱら旅の目的といえば、その土地の「うまいもの」と般若湯とにあるのであって、あらゆる旅の印象は、その晩のうちに赤ちょうちんの下にでも置いてくるようになっているから、一体その旅から何を抽象したものかと、後々になって思うことがしばしばである。
自然やら文化財やら一応は見るようにしているが、それを反省する暇もなく、気づけば日常へと返されているのが普通であって、自分は写真もろくに撮らぬから、はていつのことだったろうかと、全く無益なことであったようにさえ感じている始末である。
そんな具合で、あれこれ思い出そうとしていると、学生の時分に書いた旅行記があったから、なんとも面映ゆい心地ではあるが、少しばかり引いておく。
酔い覚めの重たい頭には湯の熱いのが余計に染みる。鴇色の空が紫の山と丁度対照をなしていた。鬱蒼とした杉林の中に、古老の山桜は朝日の差すことを待っている。目の前に突き出した何某かの樹木、川中に佇む巨石、それを打つ水音、振り返れば白壁の数寄屋に部屋の灯籠が二つばかり。漫然とそれらを眺めながら自分は湯の中に居た。
それから暫くして、九十九折を往き、天城隧道をくぐることになった理由を自分は承知していない。銀杏かなにかに結った踊り子の「稗史的な娘の絵姿」でも空想してみはするが、畢竟昨晩からの疲労に閉口するばかりであった。
全くもって当時の自分が何を記しておきたかったのかはわからない。文章そのものの拙いのは措くとして、これで当時をして何をか伝えせしめるを目的としたかは図りしれぬ。
ただ一つ有意義であったと思うのは、これを読み返せば、ある程度はこの旅の様相なりを思い出すことができるというそのことである。他人が読んでその情景を想像しうるほどの洗練された文章を書いてみたいと思ってこれを記したには違いないのだが、残念ながらその才を得るの幸運には恵まれなかった。それきりろくに旅行記なぞ書くことはついぞ止してしてまったわけだが、これもまた全くの無駄ではないのやもしれぬ。
またどこへか行った暁にはこうしてここに書いてみようか。
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